ほかほかごはん

寒い地方の医学部です 食べ物はラーメンが好きです たまに絵を描きます

父の呪縛

 

 私は長年(というほど人生やってないが)疑問に思っていることがある。それは、自分は本当に鬱病なのか?そうじゃないのか?ということである。

 もう何年もこの疑問にとらわれている。病名がついたからといってだからなんだという話だが、なんだか病名がつくと安心する気がする。だってそうすると今まで自分が生きづらかったり周りと合わなかったりして苦しんだことが全部つじつまが合うから。

 

 だからなのかわからないが、年齢はもう立派な大人になったというのに未だに過去をほじくり返しては自己分析ばかりしている。しかも分析して、安心するというわけでもなく更に自分の社会不適合さ加減を知って自己嫌悪が深まるという地獄のループなのである。

 このループから抜け出すべく、せっかく無駄にたくさん考えてきたことだし、書き連ねて吐き出していけたらと思う。

 

 小学生高学年の時にいつの間にかいじめに遭っていた。というのも、生卵投げられるとかトイレで上からバケツで水かけられるとか靴に画びょうとか(ちゃおの『いじめ』の知識しかない)、そんな激しいものじゃない。かといって陰口でもない。

 こんなことがいじめなのか「違う」と指摘されたら自分でも恥ずかしいのだが、私が当時両親共働きで鍵っ子だったときに友達女の子3人が毎日のように私の家にむりやり入ってきて、食べ物を漁ってくつろいでは帰っていくのだ。今更だけどなんだそれ?

 

 中学に上がって例の友達3人もさすがにそんなことしなくなって、私はその小学校の時の思い出を「いじめ」だとは思っていなかった。でもあるときその3人のうちの一人に、「野菜ちゃん、あれ実はいじめだったの、ごめん。」と謝られた。私は衝撃を受けた。いじめられてたショックというより、自分があれをいじめだと認識してなかったことに驚いたのである。

 

 これは私のただの自己分析だが、子どもの時から私は自分の感情を抑制し続けて生きてきた気がする。おそらく、勝手に家に入ってこられるのも実は嫌だったが、友達関係が壊れると思って無意識に言えなかったのだろう。

 

 それもこれも、父の影響が大きいと私は踏んでいる。

 

 父は物腰が柔らかく、思慮深い人だった。私は子供の頃重度のファザコンで、父が見てるもの話すこと全てが正しいと思っていて、自分も父と同じようになりたいと、父に褒められるようにずっと振る舞っていた。そのせいか「野菜ちゃんは手もかからないし反抗期もない」とよく褒められていた。

 

 でもそれは違った。今大人になって父という人を冷静に一人の人間として見ると、父の性格はかなりひねくれている。話し方も皮肉っぽいし、思慮深くはあるが結局はどこか自分でこだわった考えがある。今見ると全然憧れないし、こういう大人にはなりたくないと思う。

 

 そうして幼いころの私は父のその人間性を見抜けるわけもなく、父の考える通りのいい子ちゃん像を全うするようになり、ただ人の目ばかり見て自分の感情を殺すことだけが得意になってしまったのである。こんな特技いらない。

 

 中学では運動できないのに付き合いのある先輩の誘いを断れず運動部へ。もちろんいつもビリで、しかも怖い先輩のいじめを受けていた。その時は、さすがに耐えきれなくて自分の感情を初めて出し、腐女子で絵を描くことの方が5千倍楽しかったので美術部に変えた。

 でもこれも、退部するなんて優等生のやることじゃないと自分を責め、しばらく抑うつ的になっていた。今思えば別に退部なんてほんとにどうでもいいことだし気にしなくていいのに。

 

 つづく